心結(みゆう)ブログ

一年生

4月は“新しい出会い”の季節

春になると、通勤電車でも街角でも、初々しい新人さんを見かけるようになります。

スーツ姿がまだぎこちない彼らを見ていると、ふと私の社会人1年目を思い出します。

 

初めての職場は“進学校の事務室”

私が最初に働いたのは、県立高校の事務室でした。

しかも、進学率100%を誇る有名な進学校。

仕事も、生徒も、保護者も、なかなかに個性豊かでした。

 

例えば――

 

・「インコの具合が悪い」と、生徒の欠席連絡を入れてくるお母さん

 

・「忘れ物」と言って、テニスラケットや筆箱、果ては検尿まで届けるお父さん

 

・「お弁当のたれを忘れた」と、昼前に駆け込んでくるおばあちゃんも…

 

志望校合格のために親も全力サポート。その姿勢に圧倒されたのを覚えています。

 

職員100人、全員に話しかけて覚えた日々

事務室職員としてまず私に与えられたミッションは、

「先生方の顔と名前、教科、所属部活まで覚えること」。

 

卒業アルバムの写真を見て覚えることもしましたが、

せっかくなので私は**“全員に話しかけて覚える”作戦**を選択。

 

最初は勇気がいりましたが、

「話して覚える方が早いし、印象にも残る」と思って実行。

結果的に、この行動が多くの先生方との距離を一気に縮めてくれました。

 

もちろん失敗もたくさん…

もちろん、失敗もありました。

 

通学証明書の発行日を間違えて、生徒さんが駅員さんに怒られてしまったり

 

試験中に校内放送を入れてしまい、教頭先生が全力疾走で事務室に飛び込んできたり…

 

でも、どの失敗も笑って受け止めてくれる先生方に支えられ、私は少しずつ社会人として成長していきました。

 

契約は1年間。最後にまさかの“胴上げ”

1年契約の臨時職員という立場だったので、あっという間にお別れの時期がやってきました。

 

送別会では、なんと人生初の胴上げ。

スナックのようなお店で、天井すれすれまで飛ばされてしまい…

タイトスカートだったので、ヒヤヒヤと恥ずかしさでいっぱい。

 

でも、そんなハプニングすらも楽しく思えるくらい、素敵な1年でした。

 

社会人1年目は“学生の延長”だったけど…

あの1年間は、社会人というより学生の延長のような感覚でした。

それでも、たくさんの人に支えられ、笑って、失敗して、学んで――

確実に人生の土台になった時間です。

 

今、新年度を迎えて不安な新人さんへ。

誰にでも初めての1年目があります。

たくさん話して、たくさん失敗して、素敵なスタートを切ってくださいね。

 

 

女の意地

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の意地?」

昔、姉から教えてもらった言葉があります。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の意地」――本来は「聞かぬは一生の恥」ですが、私には“意地”という言葉の方がしっくりくる瞬間があります。

 

女の意地って、時に信じられないパワーを生むものです。

 

パソコン初心者が教室通いを決意

30歳を過ぎた頃、世の中はすっかりパソコン時代に突入していました。

でも私はというと、携帯電話すら怪しいレベルの機械音痴。

そこで一念発起して、パソコン教室に通うことにしました。

 

もちろん初心者コースからのスタート。マウスすら思った場所に止まらず、苦戦の連続。

そんな私に付き合ってくれたのが、パソコンに強い大親友でした。

 

先生の言葉に「女の意地」が爆発

ある日、教室で事件が起こります。

できの悪い私に向かって先生が一言――

「〇〇さん(友達)はちゃんとできてるのに、あなたはやる気があるの?」

 

努力しているのに、できる友達と比較される。

悔しさが込み上げてきて、ここで私の「女の意地スイッチ」が入りました。

 

ブラインドタッチを一日で習得

その日から私は猛勉強モードに突入。

ローマは一日にして成らずとはいうけれど、ブラインドタッチを一日でマスター。

筆記試験は100点、実技も98点。

ついにはパソコン検定3級に合格することができました。

 

あの時、先生に言われなければ――

もしかしたら今もマウスを思うところで止められなかったかもしれません。

 

20代の失恋にも「意地」があった

実は似たようなことがもうひとつ。

20代の頃、大好きだった彼に振られたときのこと。

「綺麗になって見返してやる!」と決意。

 

・プロにメイクを教わる

・髪をストレートにする

・服装も見直す

 

見返したい気持ちが、私を自分磨きへと突き動かしました。

 

「女の意地」は強さに変わるエネルギー

「意地を張る」と聞くと、マイナスな印象を持つ人もいるかもしれません。

でも私は思います。

「女の意地」は、努力や変化のきっかけになるポジティブな原動力。

 

うまくいかない時、誰かを見返したい時、悔しい思いをした時――

そのたびに私は意地を燃やしてシャカリキに頑張ってきました。

 

きっと、単純な性格なんでしょう。

でも、その単純さが私の強みだと、今では言えます。

 

晴れた春の日には

趣味は人柄を映す鏡

プロフィール欄にはよく「趣味」が書かれますよね。

それは自分を表現する手段の一つであり、人となりが見えてくるからです。

私自身も初対面の人には、「趣味は何ですか?」「休日はどう過ごしていますか?」とよく聞きます。

その人がどんな人生を大切にしているか、どんな価値観を持っているかが垣間見える瞬間です。

 

共通の趣味はあれば嬉しいけど

恋人やパートナーを選ぶとき、「共通の趣味があるかどうか」は話題になりやすいポイントです。

確かに話も弾みやすく、一緒に楽しめる時間が増えるのは魅力的です。

でも私は、共通の趣味がなくてもまったく問題ないと思っています。

 

なぜなら、趣味は「自分の時間の過ごし方」だから。

自分が大切にしたい時間を、それぞれのやり方で過ごせることも、心地よい関係の一つの形だと感じています。

 

本当に大切なのは「感性」と「価値観」

それよりももっと大切だと感じるのは、「感性」や「価値観」が合うかどうかです。

話が合うとか、笑いのツボが似ているとか、そういった感覚の一致があると、一緒にいて自然と心が落ち着きます。

 

違和感なく過ごせる相手。それこそが、私にとって理想の関係性です。

 

季節の美しさを共有できる人

たとえば、春の晴れた日。「今日は桜が満開らしいよ。見に行こうか」と自然に出かけたくなる。

そんな時、相手も「行こう!」と気持ちよく言ってくれる関係がいい。

 

どちらかが季節や自然に興味がなければ、その気持ちは共有できません。

満開の桜を見て、「きれいだね」と言い合える。そんな小さな感動を一緒に味わえることが、何よりの幸せです。

 

心が共鳴する関係を大切に

趣味が合うかどうかも大切なこと。でも、それ以上に「心が共鳴する関係」が大事だと私は思います。

言葉にしなくても通じ合う感覚。自然を美しいと思える心。

そんな価値観を分かち合える人となら、きっと穏やかで温かな時間を過ごせるはずです。

 

 

最後のブーケ

結婚式場選びでの意外な質問

結婚式場を探していた時のことです。

アンケートに答えてくださいと言われ、何気なく書き進めていた中にこんな設問がありました。

 

「今までに披露宴に出席された回数」。

 

私は「数えきれない」と記入。

それを見た式場の方が笑って、「そんな方、初めて見ました」と驚かれたほど。

 

ふえるアルバムに詰まった思い出

今のようにデータ保存が主流ではなかった時代、

写真はすべて現像して紙で残すものでした。

 

私は出席した披露宴・結婚式・二次会専用のアルバムを作り、

「ふえるアルバム」を2冊分、ページを追加し続けて満タンに。

 

その一つ一つに、たくさんの笑顔と幸せの記録が詰まっています。

 

ブーケを何度ももらってきたけれど…

友人たちの結婚式では、何度もブーケをいただきました。

そのたびに「次は私の番かな?」と淡い期待を抱きながらも、

なかなかその時は訪れず。

次の花嫁になれなくて申し訳なく過ごしていました。

 

後輩が届けてくれた“特別なブーケ”

2007年4月、ある後輩が結婚式を終えた翌日、わざわざ私の家までやってきました。

「どうしても渡したくて」と手渡してくれたのは、

少しくたびれたけれど、想いがぎゅっと詰まったブーケ。

 

その姿と気持ちが本当に嬉しくて、私は心に決めました。

 

「これを、私がもらう最後のブーケにしよう」と。

 

ブーケを形に残して願った未来

後輩から受け取ったこのブーケを、私はプリザーブドフラワーに加工して額装。

今も部屋の壁に飾ってあります。

 

それは単なる記念品ではなく、

「次は私がブーケを渡す側になる」という願いの証でした。

 

願いが叶った、最後のブーケ

そして時は流れ、このブーケが本当に私がもらう最後のブーケになりました。

自分の手で、今度は大切な人にブーケを託す日が来たのです。

 

たくさんの想いと願いを込めた花束は、

今も美しく咲き続けています。

天使の囁き

天性の歌声を持つ私の大親友

私の大親友は、本当に歌が上手い人です。

カラオケに行けば、彼女の歌声はみんなを一瞬で引き込むほど。

ただ音程が合っているだけではなく、感情がこもっていて心に響く。

プロの歌手とはいかなくても素晴らしいのです。

 

でも彼女はいつも「ただ歌が好きなだけ」と笑います。

その自然体がまた、彼女の魅力でもあるんです。

 

失恋した私を救ってくれた一曲

私が深く落ち込んでいたある日、

彼女はカラオケでそっと歌ってくれました。

 

竹内まりやの「元気を出して」。

その優しい歌声と選曲に、涙が止まりません。

彼女は何の説教するわけでもなく、

ただ歌で私の気持ちに寄り添ってくれたのです。

 

あの時のことは、今でも覚えています。

 

「天使が宿る歌声」と言いたくなる理由

大げさかもしれませんが、彼女の歌声には天使が宿っていると本気で思います。

言葉では言い表せない感情を、彼女は音にして届けてくれる。

音楽が心を動かす瞬間を何度も体感しました。

 

その力は、何か特別な才能だと思います。

 

結婚式でのサプライズアカペラに感動

私の結婚式では、そんな彼女がアカペラで歌を披露してくれました。

披露宴の途中、会場が静まり返る中で彼女が歌い出し、

その場の空気が一変しました。

 

そしてなんとアンコールの声まで上がり、もう一曲を即興で披露。

プロ顔負けのパフォーマンスに、列席者からは大きな拍手が湧きました。

 

「ご祝儀」にくれた最高の贈り物

披露宴後に、「こんな素敵な歌を2曲も歌ってくれて、ギャラを払わないと」と私が言うと、

彼女は微笑みながら一言。

 

「ご祝儀♡」

 

その言葉の優しさと気遣いに、また心を打たれたのでした。

 

大切な人の“歌の力”を信じて

彼女のように、歌で人を癒せる人は本当に貴重です。

それは単に“上手い”というレベルではなく、

心がこもった歌がどれだけ人を励まし、幸せにできるかを教えてくれました。

 

私の人生の大切な節目に寄り添ってくれた、かけがえのない友達です。

愛らしく

父が私を特別に可愛がってくれた理由

私は女の子の中で一番下だったせいか、父は私をとても可愛がってくれました。

出かけようとすれば、もう父の車のエンジンがかかっていて、

寒い日も暑い日も、どこへ行くにも送り迎え。

今思えば、父の深い愛情表現だったのかもしれません。

 

冬の夜に姉が感じた“格差”

そんなある冬の夜。

姉が外出しようとすると、父は懐中電灯とカイロを手渡しながら、

「気をつけて行ってきいや」と声をかけたそうです。

 

傍から見れば十分優しい父の行動ですが、

姉にとっては私との**“扱いの差”を感じる瞬間**だったのでしょう。

「なんであんたばっかり特別なん」と、よく愚痴をこぼしていました。

 

愛情はあるけど、表現が違う

父は姉のことももちろん愛していたはずです。

たとえば姉が体調を崩したときには、おかゆを作ってくれることもありました。

でも、姉は「うどんが良かった」とポツリ。

わがままに聞こえるかもしれませんが、**本当に欲しかったのは“気持ちの通じる愛”**だったのかもしれません。

 

床に転がった姉の靴下を黙って拾う父。

それが父なりの愛情表現だったのでしょうが、

姉には届きにくかったのかもしれません。

 

愛されるためには、愛らしさも必要?

人に愛されるためには、愛らしさや素直さが必要なのかもしれない。

そんなことを、父の振る舞いや姉の反応を見ながら考えることが増えました。

私は妹気質で、自然と甘え上手になったのかもしれません。

 

愛情を注いでもらうには、「可愛がられ上手」であることも

意外と大切な要素なのだと、今では感じています。

 

父の無償の愛と、姉妹の関係から学んだこと

父は、どの娘にも変わらぬ愛情を持っていた。

けれども、その伝え方や、娘たちが受け取る形には違いがあった。

愛情とは「ある」だけでなく「伝え方」も重要。

 

そして、愛されたいと願うなら、

時に素直になって、愛される側の工夫も必要なのかもしれません。

 

 

花粉症

 

付き合って早々の“まさかの告白”
交際して間もない頃、旦那さまから真剣な表情でこう言われました。
「言っておかないといけないことがある」と。
その言葉のトーンに、浮気の告白?借金?と勝手に想像して身構える私。
ところが、出てきた言葉は――「花粉症やねん」。
 
拍子抜けするような一言に、思わず力が抜けてしまいましたが、
今思えば、それは確かに“言っておくべき重大なこと”だったのです。
 
知らなかった…花粉症の本当の大変さ
私はそれまで花粉症を経験したことがなく、正直軽く見ていました。
ところが、春が近づくと旦那さまの様子が激変。
鼻にティッシュを詰めてマスク姿、ティッシュの山、突然のくしゃみ…。
そして、仕事から帰宅するやいなやソファでぐったり。
 
目には見えない花粉に、これほどまでに苦しめられるとは想像以上でした。
毎年の恒例行事のようにやってくる“花粉シーズン”は、
我が家にとっては体力も気力も奪われる戦いなのです。
 
本人にとっては死活問題だった
当時はそこまでの深刻さと思わず聞いた「花粉症やねん」という告白。
でも実際に生活をともにするようになると、その大変さが身に染みます。
食事も会話も集中できない日があるほどで、
本人にとっては命に関わる…とまではいかないまでも、
確かに「付き合うなら理解しておいてほしい」大問題だったんだなと実感しました。
 
花粉症は家族の理解がカギ
花粉症は単なる季節性の症状ではなく、生活の質を大きく左右するもの。
パートナーとしては、つらい時期をどう快適に乗り越えられるかを
一緒に考えてあげることが大切だと感じています。
 
市販薬や空気清浄機、花粉をブロックするアイテムを活用したり、
時にはそっとティッシュを差し出すことも、愛情のひとつかもしれません。

叶える

出会いから結婚までが本当に一瞬だった

出会って、惹かれて、付き合って、そして結婚へ。

気づけばあっという間に人生が大きく動いた、そんな私たち夫婦。

今になってふと気になったことがあり、ある日旦那さんに聞いてみたのです。

 

出会った瞬間、どう思ってたの?

「私と初めて会ったとき、どんな印象だった?」

「この人は、彼女になるって思った?」

それとも、

「この人を、彼女にするって思った?」

 

私がふとした好奇心で聞いたこの質問に、彼ははっきりとこう答えてくれました。

 

答えは『彼女にする』だった

迷うことなく彼は言いました。

「彼女になると思ったんじゃなくて、彼女に“する”って思った。」

 

願うだけじゃなく、自分の意思で未来をつかみにいく。

この言葉を聞いて、「なるほどなぁ」と妙に納得した私がいました。

 

願うだけではなく、決めることが大事

「そうなったらいいなぁ」と思っているうちは、まだ受け身。

でも「そうする」と自分の中で決めた瞬間から、すべてが変わる。

人との出会いに限らず、何かを叶えたいときって、

ただ願うのではなく、強く「そうすると決めること」が大切なんだと改めて感じました。

 

欲しい未来は、決意と行動でつかむ

恋愛も、仕事も、夢も、同じかもしれません。

「欲しい」と願うだけでなく、「手に入れる」と決意することで、

自然と行動が変わり、言葉が変わり、現実が近づいてくる。

 

旦那さんの一言から、人生の引き寄せには“意志の力”が必要だと気づかされました。

 

好きになる

豆顔&ホームベース型…私の顔面事情

私の顔、いわゆる“豆顔”。

芸人タカトシのトシのような感じ。

ただし輪郭はホームベース型。

友人が間違って「ベースボール型」と言ったことがあって、

それでは顔の中で打ったり投げたり、もはや球場状態です。

 

弟や後輩のストレートすぎる表現

家族も遠慮がありません。

弟には「カッターでシュッて切ったような目」と言われる切れ長。

後輩からは「しらす」と言われた細い目。

 

鼻の高さは1cmあるかどうか。

口元はエビのしっぽのような出っ歯。

…冷静に言葉にすると、美人には程遠いかもしれません。

 

それでも“自分の顔”、嫌いじゃない

でもね、私は自分の顔、実はそんなに嫌いじゃないんです。

完璧じゃないけど、そこが“自分らしさ”かなって。

 

化粧品屋さんでプロにメイクを教わったり、

くせ毛もストレートに矯正して文明の力に頼ったり。

やれることは、やるんです。女なんで。

 

「可愛くなりたい」って思えることが大切

自分の外見が好きじゃないなら、少しでも好きになれる努力をする。

外見だけじゃなくて、内面も同じ。

 

「私なんて…」と卑屈になるより、

「もっと可愛くなろう」「もっと魅力的になろう」と思うこと。

その気持ちが、未来の自分を変えていくんです。

 

自分を好きになる努力をやめない

人に好きになってもらいたいなら、まずは自分自身を好きにならなきゃ。

自分のことを好きだと思える心は、どんな外見の美しさにも勝る魅力。

 

たとえ誰かにコンプレックスを笑われても、

自分でそれを笑い飛ばせる強さがあれば、きっと大丈夫。

 

人権学習

 

職場の「人権学習」は昭和の常識だった
私が若い頃に勤めていた会社では、定期的に「人権学習」がありました。
今でこそ当たり前かもしれませんが、当時としてはとても珍しいこと。
まだ昭和の時代の話です。
 
学習といっても堅苦しいものではなく、会議室に集まってみんなでビデオを見るスタイル。
とはいえ、その内容には今見ても考えさせられるテーマが多かったのです。
 
人権とは“思いやり”であるということ
「人権」と聞くと、なんだか難しそうに聞こえるかもしれません。
でもその本質は、**“人を思いやる心”**なんじゃないかと、私は思っています。
 
ビデオの中で描かれていたのは、日常にありそうなエピソードばかり。
その中に、今でも強く記憶に残っているショートドラマがありました。
 
男女で違う、上司のひと言に違和感
ある場面では、会社の男性社員が上司に「結婚が決まりました」と報告。
すると上司は笑顔で、「それはおめでとう!これからはますます仕事に励めるな」と励まします。
 
一方、女性社員が同じ報告をすると…
上司は「で、いつまで仕事できるんだね?」と、まるで退職前提のような返答。
同じ出来事でも、男女で扱いが全く違うという典型的な例でした。
 
■「男性の集い」という謎の会議
そんなビデオを見終わった直後のこと。
専務がバツが悪そうに「この後は“男性の集い”を行います」と宣言。
要するに、女子社員は退室を命じられ、男性だけで何かを話すという流れ。
 
当時はよくあることでしたが、改めて考えるとおかしな話。
大切なことほど“男性だけ”で話し合う風土が、当たり前のように存在していたのです。
 
課長のごまかしと、消えないモヤモヤ
会議室から出てきた課長に「男性の集いって?」と聞いてみると、
小さな声で「性教育やったんや…」と答える課長。
そんなわけないやんっ
 
結局、男女格差や偏見は、制度だけでなく空気にも染み付いていたのだと痛感します。
 
今だからこそ見直したい「働く人の人権」
あれから時代は変わり、働く女性も増え、社会全体の意識も進化してきました。
でも、昔のような「表に出ない差別」は、形を変えて今もどこかに潜んでいるかもしれません。
 
「人権学習」はただの義務じゃなく、働くすべての人が尊重されるための第一歩。
今こそ、あの頃の違和感を“昔話”で終わらせないことが大切だと感じています。
 

愛される

父が最期にかけた優しいひと言

父が亡くなるほんの数時間前、病院のベッドの上で

少し疲れた様子の母に向かって、穏やかな声で言いました。

 

「おかあ寝え、わしが見といたるから」

 

看病しているのは私やで言わんばかりに、

母は笑いました。

 

でも、あの瞬間の父のまなざしと声には、深い愛情と労わりが込められていたのです。

 

夫婦の絆は、人生の最期まで

父はいつも母を気遣っていました。

日常の小さな場面でも、いつも母を立て、支え、思いやる人でした。

 

そんな父を見送りながら、母はぽつりとこう言ったのです。

 

「生まれ変わっても、またお父さんと一緒になる」

 

63歳の女性が口にする言葉として本当に素敵で、

それは、長年連れ添った夫婦の

揺るぎない絆と愛情の証だったのだと思います。

 

理想の夫婦に憧れてきた私

私はずっと思っていました。

父と母のような関係に、いつか自分もなりたい。

ただ一緒にいるだけでなく、お互いを思いやり、支え合える関係。

 

恋愛や結婚に対して、きっとどこかで「そんな人に出会いたい」と望んでいたのは、

心のどこかに、両親の姿があったからでしょう。

 

「生涯愛される女性」であるために

結婚や恋愛に限らず、人に愛されるというのは簡単なことではありません。

でも父のように、どんなときも優しさと誠実さを忘れず、

母のように、相手を信じて穏やかに寄り添うことができれば、

少しずつでも近づいていけるのかもしれません。

 

今の私は、「生涯愛される女性でありたい」と思っています。

それは、誰かに依存するという意味ではなく、

誰かにとって、ずっと大切にしたいと思ってもらえるような人でありたいという願いです。

 

通信簿

■「昔はおとなしかったのに」誰も信じてくれない

「ちっちゃい時、おとなしかってん」——

そう口にすると、ほぼ全員に「ウソやろ!?」と笑われます。

 

確かに今の私は、買い物に行けば店員さんと話し込んでしまうし、

人前でもある程度しゃべれる。緊張はするけど、昔に比べたら信じられないほど社交的になったのです。

 

でもこれは、過去の私を知る人がいないから。

“証言者”が存在しないのがもどかしくて仕方ありませんでした。

 

証拠は実家にあった!小学校の通信簿

そんなある日、実家の片付けをしていたら出てきたんです——小学校時代の通信簿。

 

そこには、当時の先生方のコメントがしっかりと残っていました。

 

「おとなしい性格です」

「自分の意見がなかなか言えません」

「特定の子としか話せない様子です」

「声がとても小さいです」

 

これには、自分でも「やっぱり本当にそうやったんや」と再確認。

 

今の自分とのギャップに笑ってしまう

通信簿を夫に見せたら、笑ってました。

職場の先輩に見せたら、

「先生、隣の席の子と間違えてるんちゃうか?」

 

それぐらい、今の私と過去の私にはギャップがあります。

でも、人は変われるんだという証明でもあるのかもしれません。

 

おとなしかった私が変わった理由

人前で話せるようになったのは、友達が出来たのがきっかけ。

仕事を通しての経験や、周囲の人たちの支えも大きかったと思います。

話せる自分に気づいたことや人に興味を持ち出したことも要因でしょうか。

 

もっと自由に人と関わりたいという思い、

もっと出来るんじゃないかという思いが行動につながり、やがて「今の私」を形作ってくれたのです。

 

■過去は変えられなくても、人は変われる

小学校のクラスメイトや先生が今の私を見たら、きっと驚くでしょう。

でも、変化を恐れずに、自分のペースで成長していけばいい。

 

あんなにおとなしかった子が、

こんなにおしゃべりで前向きな大人になってるなんて——

ちょっと、いい話じゃないですか?

 

自分らしさに誇りを持つ

メイクは“誰かの言葉”から始まった

私が化粧を始めたのは20歳。

「成人になったんだから」と、義務のようにメイクを始めました。

 

でも21歳の頃、同僚にこう言われたのです。

「してもしなくても一緒。化粧品代の無駄やん」

 

ああ、そうなんや…と思ってすっぴん生活に逆戻り。

何も考えず、人の言葉に揺れてばかりの私がそこにいました。

 

再び始まったメイク生活、そのきっかけもまた“人の声”

時は流れて28歳。

今度は友達に言われました。

「もう歳やから、すっぴんは肌に悪いよ」

 

そうかも…と、ようやくファンデーションを使い始めます。

30歳になると、親切な化粧品屋さんのお姉さんにアドバイスをもらい、

ようやくアイメイクなどもまともに始めるようになりました。

 

でもどのタイミングも、「自分がしたいから」ではなく「誰かに言われたから」。

 

好きな人に合わせすぎて、自分を見失う

好きな人が「ミニスカートが好き」と言えば、真冬でも脚を出し。

「ロングヘアが好き」と言われれば、痛んでも切らずに伸ばす。

人に「アホちゃうか」と言われるほど、従順な恋愛スタイルでした。

 

今思えば、自分を大切にしていなかったなと。

誰かの好みに寄せてばかりの人生って、すごくもったいない。

 

本当に大事なのは、外見じゃなく“中身”

服装や髪型なんて、結局は“つまらないこと”。

本当に大切なのは、私そのものを受け入れてくれる人に出会えるかどうか。

 

たとえ、地割れレベルのおならをしたとしても(笑)

「そんなお前が可愛い」と笑ってくれるような人。

“ありのままの私”を愛してくれる人。

 

自分らしくいることで、愛される

もう、誰かの言葉に揺れすぎるのはやめました。

私の人生は、私が主役。

だからこそ、これからは**“自分の意思で選ぶ人生”**を歩いていきたいのです。

 

誰かの好みをなぞるのではなく、

自分らしさに誇りを持って。

 

また会いたい

最初の出会いは“情報ゼロ”から始まった

私が主人と初めて出会った日は、特別な紹介も、写真もなにもありませんでした。

事前に聞いていたのは、**「名前と年齢と性別」**くらい。

 

まるでお見合いのような状況だけど、実際は職場の皆様と一緒のカジュアルな空間。

彼の顔も、声も、そのときが“初めて”。

 

同じ時間を過ごして感じたこと

みんなと一緒に食事をしたり、話をしたり。

彼のことをじっくり観察する時間はあまりなかったけど、周りの人の話や雰囲気から、

「きっといい人なんだろうな」という印象を持って帰りました。

 

正直、特別なトキメキがあったわけじゃない。

でも、不思議と心に残る人だったのです。

 

「また会いたい」と思ったのは、彼の方だった

後になって、主人がこう言ってくれました。

**「また会いたいと思った」**と。

 

それを聞いたとき、なんだか胸の奥がじんわり温かくなったのを覚えています。

私は“いい人そう”と思ったくらいだったけれど、

彼の中では、私との時間に何かを感じてくれていたんだと。

 

映画『ファーストキス』の中にもあった言葉

映画『ファーストキス』でも、松村北斗さん演じる旦那様が

松たか子さん演じる奥様に初めて出会ったとき、こう言います。

 

「また会いたいと思った」

 

この言葉、実はとても深い意味を持っているのだと思います。

ただの“興味”や“好印象”ではなく、

その人との未来を少しだけ意識した瞬間だったのかもしれません。

 

「また会いたい」は、始まりのサイン

たった一度の出会いで、また会いたいと思える人に出会えることは、奇跡に近い。

そこに恋の始まりがあり、

もしかしたら人生を変える出会いかもしれない。

 

「また会いたい」=心が動いた証拠

それはきっと、これからの人生を共にする第一歩なのです。

 

 

ファーストキス

心に残る一本の映画を観てきました

先日、ある映画を観に行ってきました。

これから観る方もあると思うので内容に深くは触れませんが、結婚15年目の夫婦の物語。

ある日突然、離婚を決意したときに、旦那さんが亡くなってしまう──。

 

そこから始まるのは、タイムトラベルで「出会う前の旦那さん」と再会する物語です。

 

松たか子さんの魅力が光る

この映画で奥様役を演じたのは松たか子さん。

もう、とにかく可愛い、魅力的、自然体。

観ていてとても惹きこまれました。

 

演技が自然だからこそ、夫婦のやり取りもリアルに感じられて、リズミカルで楽しくて、

面白くて、泣けてきて。

 

印象的だった「共感」のセリフ

とくに印象に残ったのは、夫婦の会話の中でのこのやり取り。

 

「君はこうするべきだ」と言う夫に対し、

「うん、うん、わかるよ、が正解でしょ」と言う妻。

 

このセリフに、思わず大きく頷いてしまいました。

私もいつも、**「味方でいてほしい」**と主人にお願いしています。

アドバイスや正論もありがたいけれど、まずは心を寄せてほしいんですよね。

 

女心を知ることが、夫婦円満の秘訣かも

たぶんこれ、多くの女性が共感できる女心じゃないでしょうか。

「正しいこと」より「共感してくれること」が、私たちの心を軽くしてくれる。

 

この映画を観て、あらためて思いました。

相手を思いやることができれば、夫婦はきっとずっと仲良しでいられるんだと。

 

映画が教えてくれた夫婦のあり方

映画を観終わって、心がほんわか温かくなりました。

すれ違いやケンカもあるけれど、

やっぱり大切なのは「思いやる気持ち」と「味方でいる姿勢」。

 

この作品は、夫婦の時間をもう一度見つめ直すきっかけになる映画でした。

 

 

Help

10年前の休日、突然の着信から始まった

結婚して間もない頃のこと。

もう10年ほど前でしょうか。

休日の遅めの朝、まったりと過ごしていたら、夫の携帯が鳴りました。

 

どうやら会社のお友達からの電話。

緊急っぽい雰囲気、仕事の話かと私は何も聞かないようにしてました。

けれども、話の途中、夫が私をちらちらと横目で見てくるのです。

 

「ガン無視したらええねん」…何の話!?

しばらくすると夫の口から飛び出したのが、

「ガン無視したらええねん」という強い口調の一言。

 

何かトラブル?

もしかして上司と揉めているのか?

不安でドキドキしながら、電話が終わるのを待ちました。

 

そして電話を切った後、夫が一言。

 

「誰にも言ったらあかんで」

 

…え、なに?ますます気になるんですけど…?

 

アダルトサイトで8万円請求された話だった!

実はその電話の内容。

夫の同僚(私も知っている人)からの相談だったのです。

 

なんとその同僚、アダルトサイトを見てしまい、

8万円の請求画面が出て、パニックになってしまったとのこと。

 

もちろん、典型的な架空請求詐欺。

でも当人は、あまりにも真剣に信じきっていて、

心配のあまり眠れない夜を過ごし、ようやく電話をかけてきたという経緯。

 

本人も安堵でまさかの“自爆”!

夫からは「絶対に言うなよ」と言われていたこの話ですが、

なんと本人が会社で自分から話していたことが発覚(笑)

 

さらに驚くのは、一番バレたらマズい奥様にまで自ら告白してしまったこと!

 

結果は…もちろん、大激怒。

そりゃそうですよね。

 

笑い話だけど教訓もある

今となっては笑い話ですが、

これはよくある詐欺の典型的なパターン。

冷静になれば対応できるのに、いざ自分が巻き込まれると、

誰でもパニックになってしまうんですよね。

 

誰かに相談する勇気と、冷静な判断が本当に大切だなと感じました。

恋or愛

「大好きだったのに」冷めたあの日

「こんなに好きになること、もう一生ないかも」
そう思えるほど、夢中になった恋。
友人が話してくれた、そんな若かりし日の恋愛エピソード。
 
彼との待ち合わせには、何時間でも待てた。
雨の日も、風の日も関係ない。
ただ彼に会いたい一心で、寒空の下でも笑顔で待ち続けた。
 
彼に他にも“彼女”がいた
でも、ある日突然の現実。
彼には、他にも複数の女性がいたことが発覚します。
 
そして、さらに衝撃の出来事が。
なんと、その中のひとりに刺されたというのです。
修羅場という言葉がぴったりな、信じられない展開。
 
病院で見た彼の姿に冷めた理由
それでも、彼女(友人)はお見舞いに行ったそうです。
「やっぱり好き」という気持ちが勝ったのでしょう。
 
ところが、病院でパジャマ姿の彼を見た瞬間、
一気に恋心が冷めたそうです。
 
よれよれのパジャマを着た、よれよれの彼を見て。
「何でこんな人をあんなに好きだったんだろう?」
そのとき、魔法が解けたように、気持ちがスーッと引いていったと言います。
 
恋は“思い込み”の産物?
「恋は思い込み」
これは、友人だけでなく多くの人が感じることかもしれません。
 
「この人しかいない」と思い込むことで、
見えない部分を理想で埋めてしまう。
でも、ふとした現実に触れた瞬間に、
その幻想が崩れ、気持ちは静かに離れていくのです。
 
じゃあ、“愛”って何なの?
では、恋と愛の違いって何なのでしょうか?
 
私が思うに、“愛”とは相手を思いやる気持ち。
相手を理解しようとし、相手の幸せを願う感情。
そこに見返りはなく、ただ「大切にしたい」という思いがある。
 
それでも恋をする意味
とはいえ、恋をすることも無意味ではありません。
恋をするからこそ、自分の感情に気づき、
相手を思う気持ちの大切さに気づくこともできるのです。
 
恋をして、愛を知る。
どちらも、人生において必要なステップなのかもしれません。

選ぶ

スピード婚での突然の報告

私はスピード婚でした。
だからこそ、周囲への結婚報告も遅くなってしまいがちで。
当時の職場のお客様にお伝えした時、
こんな言葉をかけられました。
 
「選べるんやったら、そっちの人生を選ぶわ」
 
それを聞いた瞬間、私は戸惑いました。
自分が選んだ道に、誰かが“うらやましい”と感じるなんて。
 
選ぶことは、難しいこと?
正直なところ、私は優柔不断なタイプ。
何かを「選ぶ」ということが苦手です。
だから「人生を選ぶ」という言葉には重さを感じました。
 
でも、ふと思ったんです。
私たちって、すでにずっと選んできているんじゃないかと。
 
私たちは常に“選び続けている”
生まれてから今に至るまで、
学校を選び、進路を選び、就職を選び、
人間関係や恋愛も、別れすらも——
 
人生は小さな選択の積み重ねでできている。
「選んでない」ように思えても、
本当は自分で道を選んで、進んでいるんです。
 
どの道も“正解”にできる
人生には正解がありません。
だからこそ、迷って当たり前。
選んだ道がもし間違っていたとしても、
やり直せばいい、軌道修正すればいい。
 
たった一度きりの人生。
大切なのは「思い通りに生きること」なんだと思います。
 
自分の選択に、誇りを持って
結婚という選択も、もちろん人生の大きな分岐点。
でもそれに限らず、日々の何気ない選択が、
今の私を作ってきました。
 
「選んだ道を正解にする」
そう心に決めた瞬間、選ぶことが怖くなくなりました。

勇気

告白するのは、やっぱり勇気がいる

「好き」と伝えるのって、簡単なことじゃありませんよね。

振られるかもしれないし、気まずくなるかもしれない。

そんな不安があるからこそ、多くの人が迷ってしまう。

 

でも私は、思いを伝えることをためらわないようにしています。

 

“好き”と思ったら、即アクション

昔、友達に言われたんです。

**「ためらってる時間がもったいないよ」**って。

 

その言葉が、私の中でずっと響いています。

だから私は、好きだと感じたらすぐに伝えるようにしています。

 

答えが早くわかれば、次の一歩も早く踏み出せる

告白して「Yes」なら、お付き合いがスタート。

ためらってた時間を一緒に過ごせたかもしれないんです。

 

告白して「No」でも、それはそれで前に進めるチャンス。

新しい恋に向けて動き出す時間が確保できるんです。

 

「迷ってるうちに、他の誰かに取られてた…」

そんな後悔、誰だってしたくないはず。

 

“当たって砕けろ”精神のすすめ

私はよく言います。

**「当たって砕けて、砕けちろっ!」**って(笑)

 

ちょっと強引に聞こえるかもしれないけれど、

行動しなければ、結果は永遠にわからない。

 

想いを胸にしまったまま、時間だけが過ぎていく。

それって、とてももったいないことです。

 

一瞬の勇気が、未来を変える

たった一度の告白で、未来が変わることだってある。

誰かを想うその気持ちを、大切に扱うことは素敵なこと。

 

だからこそ、迷ったら、伝えてみる。

その小さな一歩が、きっと大きな道を開いてくれるはず。

 

アンテナ

恋心に気づくタイミングっていつ?

「相手が自分のことを好きなのかも」と思う瞬間、誰にでもありますよね。

でも私は結構鈍感なタイプで、なかなかそのサインに気づけないんです。

 

皆さんは、どんなときに「もしかして?」と思いますか?

 

小学生時代のほろ苦い勘違い

これは私の友人の話。

小学校の頃、後ろの席の男の子がボールペンでつついてきたそうです。

 

『この子、もしかして私に気があるのかな?』とときめいていたら、

つつきがエスカレートし、セーターがほつれてしまうほどに…。

 

結果、それはただのいじめだったのです。

先生が親御さんを呼んで面談になるほどの大ごとに。

 

友達の悲しい思い出だそうです。

 

大人になっても恋愛アンテナ全開?

その友達、大人になってからも「この人、私に気があるかも?」とすぐに思うそうです。

一見するとポジティブ過ぎるように思えるかもしれませんが、私はちょっと羨ましいと思うんです。

 

だって、そうやって恋のアンテナを常に立てているからこそ、

チャンスも逃しにくいんじゃないかなって。

 

“気があるかも”と思うのは悪いことじゃない

勘違いだったとしても、「好かれているかも」と思うことって、

自分を少しだけ前向きにしてくれるものですよね。

 

恋愛において大事なのは、相手の気持ちを察する力ももちろんですが、

自分の気持ちに素直になることだとも思うんです。

 

恋愛アンテナは、鈍っていても大丈夫

私のように鈍感でも、

誰かの優しさに気づけた瞬間、それが恋の始まりかもしれません。

 

だから、恋愛のセンサーが鋭くても鈍くても、

自分のペースで感じることを大切にしていたいと思います。

 

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