心結(みゆう)ブログ

走る恋心

好きな人の住所が分からない…

短大時代、仲良しのTちゃんから突然の恋の相談。

「バイト先の人を好きになった」と告白。

 

でも、私はその男性とは面識がなく、どうアプローチすればいいか分からない。

そんなときにTちゃんが学校主催の卒業旅行でヨーロッパに行くことに。

 

「旅先から葉書を出せば、いいきっかけになるんじゃない?」

当時はLINEもSNSもない時代。郵便が恋のツールだったのです。

 

恋する乙女のために張り込み開始!

でも問題がひとつ。

彼の住所が分からない――。

 

そこで策を打つ「仕事終わりの彼を待ち伏せ作戦」という、今では信じられない昭和スタイルの恋のアプローチ。

 

私と助っ人のJちゃん、そして運転手のTちゃん。

3人で会社の前に車を停めて、彼の退勤をひたすら待機。

会社前で張り込むが暗くなってきてTちゃんの眼力にかかっていた。

さすがTちゃん素早く発見、出てきたところを追跡。

Tちゃんのミッション車で追跡開始!

 

カーチェイスの先に見えた愛のカタチ

ところがその彼、まさかのスピード狂。

Tちゃんは恋心を持ってミッション車を勇ましく爆走。

私と助っ人Jちゃんは暗闇を突っ走る車を目で追い右へ左へ指示。

トラックにクラクション鳴らされたけどギリ右折、ごめんなさい。

ちょっと危ないけど止まれない。

 

やっとの思いでたどり着いた社宅アパート。

少し離れたところに車を止めて恋する乙女を車中に残し、私とJちゃんはアパートの郵便受けを探す。

 

バッチリ住所は書いてあるのに 書く物を忘れてしまう痛恨のミス!

必死に住所を覚えて走って戻り、車の曇ったガラスに指で書くという昭和ならではのアナログ手法で記録。

 

一枚の葉書が運命を変える

その後、Tちゃんはヨーロッパから想いを込めた葉書を送る。

帰国後、彼からは「ありがとう」の一言――。

 

それが恋のはじまりでした。

やがて二人は付き合い、今では3人の男の子を育てる家族に。

 

今でも語り継がれる青春の一幕

みんなで集まると、必ず出てくるのがこの**“追跡ラブ大作戦”**。

昭和という不便さがかえって、強い絆と記憶を生んだのかもしれません。

 

今の時代はすぐにDMやLINEが送れるけれど、

手間をかけて届けた気持ちは、忘れられない宝物になる。

 

 

恋愛アピール出来ない?

 

「彼氏が欲しいけど…」の相談に思うこと
ある日、「彼氏いないんですよ」と真剣な表情で相談されて
「もっとアピールしたらどう?」と答えた私に、彼女はこう言いました。
 
「よしこさんだからできるんですよ。私には無理です」
 
でも本当にそうでしょうか?
恋愛に限らず、できないんじゃなくて“やらない”だけなのでは?
そう思わずにはいられません。
 
待っているだけで出会いは来る?
婚活中の私は、正直に言えばガンガン動いていました。
会う人会う人に「誰かいませんか?」と聞いて、
紹介やコンパ、お見合い等話があれば行っていました。
それだけ動いて真剣に婚活していても、
 
・「本気じゃなさそう」
 
・「余裕がありすぎて恋人いらなそう」
 
・「一人で生きていけそう」
 
なんて言われたことも。
でも、何もせずに待つだけでは、チャンスは来ません。
 
寂しさを出せばうまくいく?の勘違い
「じゃあ寂しそうにしていれば、誰かが声をかけてくれる?」
いえ、それもまた逆効果です。
 
背中を丸めて、悲愴感ただよう雰囲気を出したところで、
魅力的に見えるわけではありません。
 
むしろ周囲は気を遣って、一歩引いてしまうだけ。
大切なのは、“助けを待つ姿”ではなく、“自分で動く意思”です。
 
恋愛は自分から動いた人にチャンスがある
世の中、思い通りに進むことばかりではありません。
でもだからといって、「どうせ無理」「できないから」と言い訳をしていたら、
何も始まらないし、何も手に入らない。
 
恋愛も婚活も、“自分から行動した人”にチャンスが巡ってきます。
一歩踏み出すことを恐れないで。
「誰かいませんか?」と言ってみるだけでも、未来は変わります。
 

縁とタイミング

よく聞くけれど…「縁とタイミング」って?

「結婚って、縁とタイミングだから」

婚活中、何度もそんな言葉をかけられました。

 

でも、その“縁”と“タイミング”って誰が教えてくれるの?

まるで大縄跳びみたいに、誰かが「今だよ!」と合図してくれるわけじゃないし、

運命の赤い糸が目に見えるわけでもありません。

 

出会っている人はすべて“縁のある人”?

出会いにはすべて意味がある。

生きていく中で出会う人はみんな縁のある人だと私は思っています。

学校や職場、友達や友達の友達…出会う全ての人には自分との縁がある。

出会いは“縁”のスタート。

どんな縁があって、何を意味するのかは、是非考えてみて下さい。

 

タイミングは「今だ!」とわかるもの?

「結婚を考える時期っていつ?」

 

・周りが結婚し始めた時?

 

・30歳を過ぎたあたり?

 

・仕事が安定した時?

 

実はどれも正解のようで正解じゃない。

タイミングは自分が結婚しようと思う時。

誰かが決めることでも、誰かの真似をするものでもないんです。

 

結婚して振り返ってみると——

「あの時、あの人に出会った意味」が自然と見えてくるものなんです。

 

“縁とタイミング”は後からわかるもの

私自身、結婚する前までは

 

こんなに縁やタイミングを考えるのに答えがないなんて…

誰やねん、いつやねんと考えて。

 

でも今ならわかるのです。

結婚とは、あとから“あの時がタイミングだった”と気づくもの。

 

焦っても、計算しても、完璧な答えは出ません。

でも確かに、誰にでも「その時」は訪れると思うのです。

 

チャンスは静かにやってくる

「縁」と「タイミング」は、きっと静かにやってきます。

そして、過ぎてから気づくからこそ大切なのは——

 

“今、目の前の人との関係を大事にすること”

“自分の気持ちに素直になること”

 

考えすぎずに、でも逃さないように心を開いておくことが大切なのかもしれません。

 

使わない言葉

「忙しい」と言わない理由

私は**「忙しい」という言葉があまり好きではありません**。

 

誰かに誘われた時に、「忙しい」と断るのは

なんだかその人との時間が“優先順位の外”だと伝えているようで、

寂しさを感じてしまうからです。

 

そして、逆に自分が言われた時も、やっぱり少しだけ心が傷つきます。

 

忙しいは“心を亡くす”と書く

「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書きます。

まさにその通りで、心を失いそうなときほど、人とのつながりが必要なのに、

「忙しい」と断ち切ってしまうのは、とても悲しいこと。

 

時間は「ある・ない」ではなく、**“作るもの”**だと私は思っています。

だからこそ、会いたい人、話したい人には、時間を作る努力をしたいのです。

 

「頑張れ」と言わない理由

もうひとつ、私があまり使わない言葉があります。

それは「頑張れ」です。

 

もちろん、運動会で全力で走っている人には声をかけます。

ゴールまで駆け抜けてほしいエールですから、

“もうダメだ”と思っていたとしたら、

“もう一人抜きたい”と思っていたとしたら、

奮起してほしいと思う気持ちで「頑張れ!」と叫びます。

 

でも、すでに困難に立ち向かって頑張っている人に対しては、

その頑張りを無責任に煽るような気がして、「頑張れ」とは言いません。

 

頑張っている人には、敬意を

もう頑張っている人には、その頑張りを賞賛します。

 

「負けないで」と自分に負けずに戦う強さを持つこと。

そんな言葉の方が、時に相手をそっと支える力になると思うのです。

 

言葉は使い方次第で武器にもなる

言葉は人に想いを伝えるための大切な道具。

けれど、使い方を間違えれば、人を傷つける武器にもなってしまう。

 

特に、自分の口から出た言葉はもう取り消せません。

だからこそ、一つひとつに責任を持って、思いやりを込めて使いたい。

 

 

かぐや姫

3人の娘を育てた母の小さな夢

私たち三姉妹の母には、密かな夢がありました。

せっかく娘を3人も産んだのだから

娘たちをもらいにくる男たちに条件を突きつけること。

 

まるで昔話の**“かぐや姫”のように**――

「龍の首にかかった珠を取ってこい」だとか

「火鼠の皮衣を探してこい」だとか。

そんな無理難題を吹っかけて、

我が娘に値打ちをもたせたかった。

 

現実は“晩婚3姉妹”…!?

ですが現実は、母の理想とはかけ離れていました。

 

三姉妹ともに**いわゆる“晩婚”**で、

実際に「娘さんをください」と挨拶に来ると…。

ついには母も観念して、こう言っていました。

 

「どうぞお持ち帰りください、返品はお断りで」

 

なんとも潔い“ご成婚の言葉”です。

 

かぐや姫ではなく桃太郎の家来!?

私たち三姉妹は、母の夢のような姫君にはなれませんでした。

 

どちらかといえば――

きび団子ひとつで鬼退治に出かけてしまう、

きじ・さる・いぬ。

戦う気概はあるけれど、

守られるお姫様ではなかったのです。

 

母の夢は、少し切なくも温かい

そんな母の夢がかなうことはなかったけれど、

それでも「娘に幸せになってほしい」という願いが込められていたことは、

大人になった今ならよく分かります。

 

母上さま、ごめんなさい。

でも私たち、私たちなりの人生をちゃんと歩いています。

夢見たかぐや姫には届かなかったけれど、

娘たちはちゃんと、自分の足で未来に進んでいます。

 

 

一年生

4月は“新しい出会い”の季節

春になると、通勤電車でも街角でも、初々しい新人さんを見かけるようになります。

スーツ姿がまだぎこちない彼らを見ていると、ふと私の社会人1年目を思い出します。

 

初めての職場は“進学校の事務室”

私が最初に働いたのは、県立高校の事務室でした。

しかも、進学率100%を誇る有名な進学校。

仕事も、生徒も、保護者も、なかなかに個性豊かでした。

 

例えば――

 

・「インコの具合が悪い」と、生徒の欠席連絡を入れてくるお母さん

 

・「忘れ物」と言って、テニスラケットや筆箱、果ては検尿まで届けるお父さん

 

・「お弁当のたれを忘れた」と、昼前に駆け込んでくるおばあちゃんも…

 

志望校合格のために親も全力サポート。その姿勢に圧倒されたのを覚えています。

 

職員100人、全員に話しかけて覚えた日々

事務室職員としてまず私に与えられたミッションは、

「先生方の顔と名前、教科、所属部活まで覚えること」。

 

卒業アルバムの写真を見て覚えることもしましたが、

せっかくなので私は**“全員に話しかけて覚える”作戦**を選択。

 

最初は勇気がいりましたが、

「話して覚える方が早いし、印象にも残る」と思って実行。

結果的に、この行動が多くの先生方との距離を一気に縮めてくれました。

 

もちろん失敗もたくさん…

もちろん、失敗もありました。

 

通学証明書の発行日を間違えて、生徒さんが駅員さんに怒られてしまったり

 

試験中に校内放送を入れてしまい、教頭先生が全力疾走で事務室に飛び込んできたり…

 

でも、どの失敗も笑って受け止めてくれる先生方に支えられ、私は少しずつ社会人として成長していきました。

 

契約は1年間。最後にまさかの“胴上げ”

1年契約の臨時職員という立場だったので、あっという間にお別れの時期がやってきました。

 

送別会では、なんと人生初の胴上げ。

スナックのようなお店で、天井すれすれまで飛ばされてしまい…

タイトスカートだったので、ヒヤヒヤと恥ずかしさでいっぱい。

 

でも、そんなハプニングすらも楽しく思えるくらい、素敵な1年でした。

 

社会人1年目は“学生の延長”だったけど…

あの1年間は、社会人というより学生の延長のような感覚でした。

それでも、たくさんの人に支えられ、笑って、失敗して、学んで――

確実に人生の土台になった時間です。

 

今、新年度を迎えて不安な新人さんへ。

誰にでも初めての1年目があります。

たくさん話して、たくさん失敗して、素敵なスタートを切ってくださいね。

 

 

女の意地

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の意地?」

昔、姉から教えてもらった言葉があります。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の意地」――本来は「聞かぬは一生の恥」ですが、私には“意地”という言葉の方がしっくりくる瞬間があります。

 

女の意地って、時に信じられないパワーを生むものです。

 

パソコン初心者が教室通いを決意

30歳を過ぎた頃、世の中はすっかりパソコン時代に突入していました。

でも私はというと、携帯電話すら怪しいレベルの機械音痴。

そこで一念発起して、パソコン教室に通うことにしました。

 

もちろん初心者コースからのスタート。マウスすら思った場所に止まらず、苦戦の連続。

そんな私に付き合ってくれたのが、パソコンに強い大親友でした。

 

先生の言葉に「女の意地」が爆発

ある日、教室で事件が起こります。

できの悪い私に向かって先生が一言――

「〇〇さん(友達)はちゃんとできてるのに、あなたはやる気があるの?」

 

努力しているのに、できる友達と比較される。

悔しさが込み上げてきて、ここで私の「女の意地スイッチ」が入りました。

 

ブラインドタッチを一日で習得

その日から私は猛勉強モードに突入。

ローマは一日にして成らずとはいうけれど、ブラインドタッチを一日でマスター。

筆記試験は100点、実技も98点。

ついにはパソコン検定3級に合格することができました。

 

あの時、先生に言われなければ――

もしかしたら今もマウスを思うところで止められなかったかもしれません。

 

20代の失恋にも「意地」があった

実は似たようなことがもうひとつ。

20代の頃、大好きだった彼に振られたときのこと。

「綺麗になって見返してやる!」と決意。

 

・プロにメイクを教わる

・髪をストレートにする

・服装も見直す

 

見返したい気持ちが、私を自分磨きへと突き動かしました。

 

「女の意地」は強さに変わるエネルギー

「意地を張る」と聞くと、マイナスな印象を持つ人もいるかもしれません。

でも私は思います。

「女の意地」は、努力や変化のきっかけになるポジティブな原動力。

 

うまくいかない時、誰かを見返したい時、悔しい思いをした時――

そのたびに私は意地を燃やしてシャカリキに頑張ってきました。

 

きっと、単純な性格なんでしょう。

でも、その単純さが私の強みだと、今では言えます。

 

晴れた春の日には

趣味は人柄を映す鏡

プロフィール欄にはよく「趣味」が書かれますよね。

それは自分を表現する手段の一つであり、人となりが見えてくるからです。

私自身も初対面の人には、「趣味は何ですか?」「休日はどう過ごしていますか?」とよく聞きます。

その人がどんな人生を大切にしているか、どんな価値観を持っているかが垣間見える瞬間です。

 

共通の趣味はあれば嬉しいけど

恋人やパートナーを選ぶとき、「共通の趣味があるかどうか」は話題になりやすいポイントです。

確かに話も弾みやすく、一緒に楽しめる時間が増えるのは魅力的です。

でも私は、共通の趣味がなくてもまったく問題ないと思っています。

 

なぜなら、趣味は「自分の時間の過ごし方」だから。

自分が大切にしたい時間を、それぞれのやり方で過ごせることも、心地よい関係の一つの形だと感じています。

 

本当に大切なのは「感性」と「価値観」

それよりももっと大切だと感じるのは、「感性」や「価値観」が合うかどうかです。

話が合うとか、笑いのツボが似ているとか、そういった感覚の一致があると、一緒にいて自然と心が落ち着きます。

 

違和感なく過ごせる相手。それこそが、私にとって理想の関係性です。

 

季節の美しさを共有できる人

たとえば、春の晴れた日。「今日は桜が満開らしいよ。見に行こうか」と自然に出かけたくなる。

そんな時、相手も「行こう!」と気持ちよく言ってくれる関係がいい。

 

どちらかが季節や自然に興味がなければ、その気持ちは共有できません。

満開の桜を見て、「きれいだね」と言い合える。そんな小さな感動を一緒に味わえることが、何よりの幸せです。

 

心が共鳴する関係を大切に

趣味が合うかどうかも大切なこと。でも、それ以上に「心が共鳴する関係」が大事だと私は思います。

言葉にしなくても通じ合う感覚。自然を美しいと思える心。

そんな価値観を分かち合える人となら、きっと穏やかで温かな時間を過ごせるはずです。

 

 

最後のブーケ

結婚式場選びでの意外な質問

結婚式場を探していた時のことです。

アンケートに答えてくださいと言われ、何気なく書き進めていた中にこんな設問がありました。

 

「今までに披露宴に出席された回数」。

 

私は「数えきれない」と記入。

それを見た式場の方が笑って、「そんな方、初めて見ました」と驚かれたほど。

 

ふえるアルバムに詰まった思い出

今のようにデータ保存が主流ではなかった時代、

写真はすべて現像して紙で残すものでした。

 

私は出席した披露宴・結婚式・二次会専用のアルバムを作り、

「ふえるアルバム」を2冊分、ページを追加し続けて満タンに。

 

その一つ一つに、たくさんの笑顔と幸せの記録が詰まっています。

 

ブーケを何度ももらってきたけれど…

友人たちの結婚式では、何度もブーケをいただきました。

そのたびに「次は私の番かな?」と淡い期待を抱きながらも、

なかなかその時は訪れず。

次の花嫁になれなくて申し訳なく過ごしていました。

 

後輩が届けてくれた“特別なブーケ”

2007年4月、ある後輩が結婚式を終えた翌日、わざわざ私の家までやってきました。

「どうしても渡したくて」と手渡してくれたのは、

少しくたびれたけれど、想いがぎゅっと詰まったブーケ。

 

その姿と気持ちが本当に嬉しくて、私は心に決めました。

 

「これを、私がもらう最後のブーケにしよう」と。

 

ブーケを形に残して願った未来

後輩から受け取ったこのブーケを、私はプリザーブドフラワーに加工して額装。

今も部屋の壁に飾ってあります。

 

それは単なる記念品ではなく、

「次は私がブーケを渡す側になる」という願いの証でした。

 

願いが叶った、最後のブーケ

そして時は流れ、このブーケが本当に私がもらう最後のブーケになりました。

自分の手で、今度は大切な人にブーケを託す日が来たのです。

 

たくさんの想いと願いを込めた花束は、

今も美しく咲き続けています。

天使の囁き

天性の歌声を持つ私の大親友

私の大親友は、本当に歌が上手い人です。

カラオケに行けば、彼女の歌声はみんなを一瞬で引き込むほど。

ただ音程が合っているだけではなく、感情がこもっていて心に響く。

プロの歌手とはいかなくても素晴らしいのです。

 

でも彼女はいつも「ただ歌が好きなだけ」と笑います。

その自然体がまた、彼女の魅力でもあるんです。

 

失恋した私を救ってくれた一曲

私が深く落ち込んでいたある日、

彼女はカラオケでそっと歌ってくれました。

 

竹内まりやの「元気を出して」。

その優しい歌声と選曲に、涙が止まりません。

彼女は何の説教するわけでもなく、

ただ歌で私の気持ちに寄り添ってくれたのです。

 

あの時のことは、今でも覚えています。

 

「天使が宿る歌声」と言いたくなる理由

大げさかもしれませんが、彼女の歌声には天使が宿っていると本気で思います。

言葉では言い表せない感情を、彼女は音にして届けてくれる。

音楽が心を動かす瞬間を何度も体感しました。

 

その力は、何か特別な才能だと思います。

 

結婚式でのサプライズアカペラに感動

私の結婚式では、そんな彼女がアカペラで歌を披露してくれました。

披露宴の途中、会場が静まり返る中で彼女が歌い出し、

その場の空気が一変しました。

 

そしてなんとアンコールの声まで上がり、もう一曲を即興で披露。

プロ顔負けのパフォーマンスに、列席者からは大きな拍手が湧きました。

 

「ご祝儀」にくれた最高の贈り物

披露宴後に、「こんな素敵な歌を2曲も歌ってくれて、ギャラを払わないと」と私が言うと、

彼女は微笑みながら一言。

 

「ご祝儀♡」

 

その言葉の優しさと気遣いに、また心を打たれたのでした。

 

大切な人の“歌の力”を信じて

彼女のように、歌で人を癒せる人は本当に貴重です。

それは単に“上手い”というレベルではなく、

心がこもった歌がどれだけ人を励まし、幸せにできるかを教えてくれました。

 

私の人生の大切な節目に寄り添ってくれた、かけがえのない友達です。

愛らしく

父が私を特別に可愛がってくれた理由

私は女の子の中で一番下だったせいか、父は私をとても可愛がってくれました。

出かけようとすれば、もう父の車のエンジンがかかっていて、

寒い日も暑い日も、どこへ行くにも送り迎え。

今思えば、父の深い愛情表現だったのかもしれません。

 

冬の夜に姉が感じた“格差”

そんなある冬の夜。

姉が外出しようとすると、父は懐中電灯とカイロを手渡しながら、

「気をつけて行ってきいや」と声をかけたそうです。

 

傍から見れば十分優しい父の行動ですが、

姉にとっては私との**“扱いの差”を感じる瞬間**だったのでしょう。

「なんであんたばっかり特別なん」と、よく愚痴をこぼしていました。

 

愛情はあるけど、表現が違う

父は姉のことももちろん愛していたはずです。

たとえば姉が体調を崩したときには、おかゆを作ってくれることもありました。

でも、姉は「うどんが良かった」とポツリ。

わがままに聞こえるかもしれませんが、**本当に欲しかったのは“気持ちの通じる愛”**だったのかもしれません。

 

床に転がった姉の靴下を黙って拾う父。

それが父なりの愛情表現だったのでしょうが、

姉には届きにくかったのかもしれません。

 

愛されるためには、愛らしさも必要?

人に愛されるためには、愛らしさや素直さが必要なのかもしれない。

そんなことを、父の振る舞いや姉の反応を見ながら考えることが増えました。

私は妹気質で、自然と甘え上手になったのかもしれません。

 

愛情を注いでもらうには、「可愛がられ上手」であることも

意外と大切な要素なのだと、今では感じています。

 

父の無償の愛と、姉妹の関係から学んだこと

父は、どの娘にも変わらぬ愛情を持っていた。

けれども、その伝え方や、娘たちが受け取る形には違いがあった。

愛情とは「ある」だけでなく「伝え方」も重要。

 

そして、愛されたいと願うなら、

時に素直になって、愛される側の工夫も必要なのかもしれません。

 

 

花粉症

 

付き合って早々の“まさかの告白”
交際して間もない頃、旦那さまから真剣な表情でこう言われました。
「言っておかないといけないことがある」と。
その言葉のトーンに、浮気の告白?借金?と勝手に想像して身構える私。
ところが、出てきた言葉は――「花粉症やねん」。
 
拍子抜けするような一言に、思わず力が抜けてしまいましたが、
今思えば、それは確かに“言っておくべき重大なこと”だったのです。
 
知らなかった…花粉症の本当の大変さ
私はそれまで花粉症を経験したことがなく、正直軽く見ていました。
ところが、春が近づくと旦那さまの様子が激変。
鼻にティッシュを詰めてマスク姿、ティッシュの山、突然のくしゃみ…。
そして、仕事から帰宅するやいなやソファでぐったり。
 
目には見えない花粉に、これほどまでに苦しめられるとは想像以上でした。
毎年の恒例行事のようにやってくる“花粉シーズン”は、
我が家にとっては体力も気力も奪われる戦いなのです。
 
本人にとっては死活問題だった
当時はそこまでの深刻さと思わず聞いた「花粉症やねん」という告白。
でも実際に生活をともにするようになると、その大変さが身に染みます。
食事も会話も集中できない日があるほどで、
本人にとっては命に関わる…とまではいかないまでも、
確かに「付き合うなら理解しておいてほしい」大問題だったんだなと実感しました。
 
花粉症は家族の理解がカギ
花粉症は単なる季節性の症状ではなく、生活の質を大きく左右するもの。
パートナーとしては、つらい時期をどう快適に乗り越えられるかを
一緒に考えてあげることが大切だと感じています。
 
市販薬や空気清浄機、花粉をブロックするアイテムを活用したり、
時にはそっとティッシュを差し出すことも、愛情のひとつかもしれません。

叶える

出会いから結婚までが本当に一瞬だった

出会って、惹かれて、付き合って、そして結婚へ。

気づけばあっという間に人生が大きく動いた、そんな私たち夫婦。

今になってふと気になったことがあり、ある日旦那さんに聞いてみたのです。

 

出会った瞬間、どう思ってたの?

「私と初めて会ったとき、どんな印象だった?」

「この人は、彼女になるって思った?」

それとも、

「この人を、彼女にするって思った?」

 

私がふとした好奇心で聞いたこの質問に、彼ははっきりとこう答えてくれました。

 

答えは『彼女にする』だった

迷うことなく彼は言いました。

「彼女になると思ったんじゃなくて、彼女に“する”って思った。」

 

願うだけじゃなく、自分の意思で未来をつかみにいく。

この言葉を聞いて、「なるほどなぁ」と妙に納得した私がいました。

 

願うだけではなく、決めることが大事

「そうなったらいいなぁ」と思っているうちは、まだ受け身。

でも「そうする」と自分の中で決めた瞬間から、すべてが変わる。

人との出会いに限らず、何かを叶えたいときって、

ただ願うのではなく、強く「そうすると決めること」が大切なんだと改めて感じました。

 

欲しい未来は、決意と行動でつかむ

恋愛も、仕事も、夢も、同じかもしれません。

「欲しい」と願うだけでなく、「手に入れる」と決意することで、

自然と行動が変わり、言葉が変わり、現実が近づいてくる。

 

旦那さんの一言から、人生の引き寄せには“意志の力”が必要だと気づかされました。

 

好きになる

豆顔&ホームベース型…私の顔面事情

私の顔、いわゆる“豆顔”。

芸人タカトシのトシのような感じ。

ただし輪郭はホームベース型。

友人が間違って「ベースボール型」と言ったことがあって、

それでは顔の中で打ったり投げたり、もはや球場状態です。

 

弟や後輩のストレートすぎる表現

家族も遠慮がありません。

弟には「カッターでシュッて切ったような目」と言われる切れ長。

後輩からは「しらす」と言われた細い目。

 

鼻の高さは1cmあるかどうか。

口元はエビのしっぽのような出っ歯。

…冷静に言葉にすると、美人には程遠いかもしれません。

 

それでも“自分の顔”、嫌いじゃない

でもね、私は自分の顔、実はそんなに嫌いじゃないんです。

完璧じゃないけど、そこが“自分らしさ”かなって。

 

化粧品屋さんでプロにメイクを教わったり、

くせ毛もストレートに矯正して文明の力に頼ったり。

やれることは、やるんです。女なんで。

 

「可愛くなりたい」って思えることが大切

自分の外見が好きじゃないなら、少しでも好きになれる努力をする。

外見だけじゃなくて、内面も同じ。

 

「私なんて…」と卑屈になるより、

「もっと可愛くなろう」「もっと魅力的になろう」と思うこと。

その気持ちが、未来の自分を変えていくんです。

 

自分を好きになる努力をやめない

人に好きになってもらいたいなら、まずは自分自身を好きにならなきゃ。

自分のことを好きだと思える心は、どんな外見の美しさにも勝る魅力。

 

たとえ誰かにコンプレックスを笑われても、

自分でそれを笑い飛ばせる強さがあれば、きっと大丈夫。

 

人権学習

 

職場の「人権学習」は昭和の常識だった
私が若い頃に勤めていた会社では、定期的に「人権学習」がありました。
今でこそ当たり前かもしれませんが、当時としてはとても珍しいこと。
まだ昭和の時代の話です。
 
学習といっても堅苦しいものではなく、会議室に集まってみんなでビデオを見るスタイル。
とはいえ、その内容には今見ても考えさせられるテーマが多かったのです。
 
人権とは“思いやり”であるということ
「人権」と聞くと、なんだか難しそうに聞こえるかもしれません。
でもその本質は、**“人を思いやる心”**なんじゃないかと、私は思っています。
 
ビデオの中で描かれていたのは、日常にありそうなエピソードばかり。
その中に、今でも強く記憶に残っているショートドラマがありました。
 
男女で違う、上司のひと言に違和感
ある場面では、会社の男性社員が上司に「結婚が決まりました」と報告。
すると上司は笑顔で、「それはおめでとう!これからはますます仕事に励めるな」と励まします。
 
一方、女性社員が同じ報告をすると…
上司は「で、いつまで仕事できるんだね?」と、まるで退職前提のような返答。
同じ出来事でも、男女で扱いが全く違うという典型的な例でした。
 
■「男性の集い」という謎の会議
そんなビデオを見終わった直後のこと。
専務がバツが悪そうに「この後は“男性の集い”を行います」と宣言。
要するに、女子社員は退室を命じられ、男性だけで何かを話すという流れ。
 
当時はよくあることでしたが、改めて考えるとおかしな話。
大切なことほど“男性だけ”で話し合う風土が、当たり前のように存在していたのです。
 
課長のごまかしと、消えないモヤモヤ
会議室から出てきた課長に「男性の集いって?」と聞いてみると、
小さな声で「性教育やったんや…」と答える課長。
そんなわけないやんっ
 
結局、男女格差や偏見は、制度だけでなく空気にも染み付いていたのだと痛感します。
 
今だからこそ見直したい「働く人の人権」
あれから時代は変わり、働く女性も増え、社会全体の意識も進化してきました。
でも、昔のような「表に出ない差別」は、形を変えて今もどこかに潜んでいるかもしれません。
 
「人権学習」はただの義務じゃなく、働くすべての人が尊重されるための第一歩。
今こそ、あの頃の違和感を“昔話”で終わらせないことが大切だと感じています。
 

愛される

父が最期にかけた優しいひと言

父が亡くなるほんの数時間前、病院のベッドの上で

少し疲れた様子の母に向かって、穏やかな声で言いました。

 

「おかあ寝え、わしが見といたるから」

 

看病しているのは私やで言わんばかりに、

母は笑いました。

 

でも、あの瞬間の父のまなざしと声には、深い愛情と労わりが込められていたのです。

 

夫婦の絆は、人生の最期まで

父はいつも母を気遣っていました。

日常の小さな場面でも、いつも母を立て、支え、思いやる人でした。

 

そんな父を見送りながら、母はぽつりとこう言ったのです。

 

「生まれ変わっても、またお父さんと一緒になる」

 

63歳の女性が口にする言葉として本当に素敵で、

それは、長年連れ添った夫婦の

揺るぎない絆と愛情の証だったのだと思います。

 

理想の夫婦に憧れてきた私

私はずっと思っていました。

父と母のような関係に、いつか自分もなりたい。

ただ一緒にいるだけでなく、お互いを思いやり、支え合える関係。

 

恋愛や結婚に対して、きっとどこかで「そんな人に出会いたい」と望んでいたのは、

心のどこかに、両親の姿があったからでしょう。

 

「生涯愛される女性」であるために

結婚や恋愛に限らず、人に愛されるというのは簡単なことではありません。

でも父のように、どんなときも優しさと誠実さを忘れず、

母のように、相手を信じて穏やかに寄り添うことができれば、

少しずつでも近づいていけるのかもしれません。

 

今の私は、「生涯愛される女性でありたい」と思っています。

それは、誰かに依存するという意味ではなく、

誰かにとって、ずっと大切にしたいと思ってもらえるような人でありたいという願いです。

 

通信簿

■「昔はおとなしかったのに」誰も信じてくれない

「ちっちゃい時、おとなしかってん」——

そう口にすると、ほぼ全員に「ウソやろ!?」と笑われます。

 

確かに今の私は、買い物に行けば店員さんと話し込んでしまうし、

人前でもある程度しゃべれる。緊張はするけど、昔に比べたら信じられないほど社交的になったのです。

 

でもこれは、過去の私を知る人がいないから。

“証言者”が存在しないのがもどかしくて仕方ありませんでした。

 

証拠は実家にあった!小学校の通信簿

そんなある日、実家の片付けをしていたら出てきたんです——小学校時代の通信簿。

 

そこには、当時の先生方のコメントがしっかりと残っていました。

 

「おとなしい性格です」

「自分の意見がなかなか言えません」

「特定の子としか話せない様子です」

「声がとても小さいです」

 

これには、自分でも「やっぱり本当にそうやったんや」と再確認。

 

今の自分とのギャップに笑ってしまう

通信簿を夫に見せたら、笑ってました。

職場の先輩に見せたら、

「先生、隣の席の子と間違えてるんちゃうか?」

 

それぐらい、今の私と過去の私にはギャップがあります。

でも、人は変われるんだという証明でもあるのかもしれません。

 

おとなしかった私が変わった理由

人前で話せるようになったのは、友達が出来たのがきっかけ。

仕事を通しての経験や、周囲の人たちの支えも大きかったと思います。

話せる自分に気づいたことや人に興味を持ち出したことも要因でしょうか。

 

もっと自由に人と関わりたいという思い、

もっと出来るんじゃないかという思いが行動につながり、やがて「今の私」を形作ってくれたのです。

 

■過去は変えられなくても、人は変われる

小学校のクラスメイトや先生が今の私を見たら、きっと驚くでしょう。

でも、変化を恐れずに、自分のペースで成長していけばいい。

 

あんなにおとなしかった子が、

こんなにおしゃべりで前向きな大人になってるなんて——

ちょっと、いい話じゃないですか?

 

自分らしさに誇りを持つ

メイクは“誰かの言葉”から始まった

私が化粧を始めたのは20歳。

「成人になったんだから」と、義務のようにメイクを始めました。

 

でも21歳の頃、同僚にこう言われたのです。

「してもしなくても一緒。化粧品代の無駄やん」

 

ああ、そうなんや…と思ってすっぴん生活に逆戻り。

何も考えず、人の言葉に揺れてばかりの私がそこにいました。

 

再び始まったメイク生活、そのきっかけもまた“人の声”

時は流れて28歳。

今度は友達に言われました。

「もう歳やから、すっぴんは肌に悪いよ」

 

そうかも…と、ようやくファンデーションを使い始めます。

30歳になると、親切な化粧品屋さんのお姉さんにアドバイスをもらい、

ようやくアイメイクなどもまともに始めるようになりました。

 

でもどのタイミングも、「自分がしたいから」ではなく「誰かに言われたから」。

 

好きな人に合わせすぎて、自分を見失う

好きな人が「ミニスカートが好き」と言えば、真冬でも脚を出し。

「ロングヘアが好き」と言われれば、痛んでも切らずに伸ばす。

人に「アホちゃうか」と言われるほど、従順な恋愛スタイルでした。

 

今思えば、自分を大切にしていなかったなと。

誰かの好みに寄せてばかりの人生って、すごくもったいない。

 

本当に大事なのは、外見じゃなく“中身”

服装や髪型なんて、結局は“つまらないこと”。

本当に大切なのは、私そのものを受け入れてくれる人に出会えるかどうか。

 

たとえ、地割れレベルのおならをしたとしても(笑)

「そんなお前が可愛い」と笑ってくれるような人。

“ありのままの私”を愛してくれる人。

 

自分らしくいることで、愛される

もう、誰かの言葉に揺れすぎるのはやめました。

私の人生は、私が主役。

だからこそ、これからは**“自分の意思で選ぶ人生”**を歩いていきたいのです。

 

誰かの好みをなぞるのではなく、

自分らしさに誇りを持って。

 

また会いたい

最初の出会いは“情報ゼロ”から始まった

私が主人と初めて出会った日は、特別な紹介も、写真もなにもありませんでした。

事前に聞いていたのは、**「名前と年齢と性別」**くらい。

 

まるでお見合いのような状況だけど、実際は職場の皆様と一緒のカジュアルな空間。

彼の顔も、声も、そのときが“初めて”。

 

同じ時間を過ごして感じたこと

みんなと一緒に食事をしたり、話をしたり。

彼のことをじっくり観察する時間はあまりなかったけど、周りの人の話や雰囲気から、

「きっといい人なんだろうな」という印象を持って帰りました。

 

正直、特別なトキメキがあったわけじゃない。

でも、不思議と心に残る人だったのです。

 

「また会いたい」と思ったのは、彼の方だった

後になって、主人がこう言ってくれました。

**「また会いたいと思った」**と。

 

それを聞いたとき、なんだか胸の奥がじんわり温かくなったのを覚えています。

私は“いい人そう”と思ったくらいだったけれど、

彼の中では、私との時間に何かを感じてくれていたんだと。

 

映画『ファーストキス』の中にもあった言葉

映画『ファーストキス』でも、松村北斗さん演じる旦那様が

松たか子さん演じる奥様に初めて出会ったとき、こう言います。

 

「また会いたいと思った」

 

この言葉、実はとても深い意味を持っているのだと思います。

ただの“興味”や“好印象”ではなく、

その人との未来を少しだけ意識した瞬間だったのかもしれません。

 

「また会いたい」は、始まりのサイン

たった一度の出会いで、また会いたいと思える人に出会えることは、奇跡に近い。

そこに恋の始まりがあり、

もしかしたら人生を変える出会いかもしれない。

 

「また会いたい」=心が動いた証拠

それはきっと、これからの人生を共にする第一歩なのです。

 

 

ファーストキス

心に残る一本の映画を観てきました

先日、ある映画を観に行ってきました。

これから観る方もあると思うので内容に深くは触れませんが、結婚15年目の夫婦の物語。

ある日突然、離婚を決意したときに、旦那さんが亡くなってしまう──。

 

そこから始まるのは、タイムトラベルで「出会う前の旦那さん」と再会する物語です。

 

松たか子さんの魅力が光る

この映画で奥様役を演じたのは松たか子さん。

もう、とにかく可愛い、魅力的、自然体。

観ていてとても惹きこまれました。

 

演技が自然だからこそ、夫婦のやり取りもリアルに感じられて、リズミカルで楽しくて、

面白くて、泣けてきて。

 

印象的だった「共感」のセリフ

とくに印象に残ったのは、夫婦の会話の中でのこのやり取り。

 

「君はこうするべきだ」と言う夫に対し、

「うん、うん、わかるよ、が正解でしょ」と言う妻。

 

このセリフに、思わず大きく頷いてしまいました。

私もいつも、**「味方でいてほしい」**と主人にお願いしています。

アドバイスや正論もありがたいけれど、まずは心を寄せてほしいんですよね。

 

女心を知ることが、夫婦円満の秘訣かも

たぶんこれ、多くの女性が共感できる女心じゃないでしょうか。

「正しいこと」より「共感してくれること」が、私たちの心を軽くしてくれる。

 

この映画を観て、あらためて思いました。

相手を思いやることができれば、夫婦はきっとずっと仲良しでいられるんだと。

 

映画が教えてくれた夫婦のあり方

映画を観終わって、心がほんわか温かくなりました。

すれ違いやケンカもあるけれど、

やっぱり大切なのは「思いやる気持ち」と「味方でいる姿勢」。

 

この作品は、夫婦の時間をもう一度見つめ直すきっかけになる映画でした。

 

 

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